2007年12月6日木曜日

先月は、憧れていた人に会えた良い月であった。



10年来のファンであったバリトン歌手、ヨルマ・ヒュンニネン氏。

はるばるフィンランドからシベリウスイヤーのために来日した彼は、おそらく絶好調でないにせよ

絶唱を聴かせてくれた。もう、これは私の身にあまる幸福であると感謝。

何をどう言っているのか、言おうとしているのか明確になるまで歌わないのだろう。

そして、解釈がぴたっとはまったときにはもうコンディションなど関係ない、

スピリットがすべてを凌駕して芸術となる。

肉体を超えるというのはこういうときのことなのだろう。





それから、憧れの白坂道子先生。

その典雅な語り口はもう憧れのひとことに尽きる。

思えば、好みだけはうるさい私は、いつか先生のような方に、と思いつつ

でも不可能であろうことが身に沁みてわかるだけに

自分で語り始めたのでした。

私のようなスタイルは音楽と語りどっちつかずに陥る危険があるだけに

語りのみの世界はいったいどれほどの表現力を要求されるかと・・・

願わくば相乗効果を期待したいと始めたことですが。

それにしても、夕顔公演の直前にお会いできるなんて感激でした。



憧れの人とやっと出会えた月、・・にしては階段で骨折したり咳でひびが入ったり

いろいろとホネがおれました。

諸方面にご迷惑をお掛けしたことも忘れてはなりません。


すみません。

2007年11月29日木曜日

夕顔

今日の公演での衣装。源氏の最もドラマティックな場面のひとつですが…来年は源氏の年なのでお聞き頂ける機会も多くなるかと。ご来場くださった皆様 有難うございました。脚を骨折しておりましたこと、不注意を恥じております。左足でのペダル操作、得難い体験でしたが今後、皆様にご心配おかけすることの無いよう心がけます。そういえば劇中 光源氏が悲しみのあまり落馬するのですが骨折はしなかったのか新たに疑問が…皆様はご無事に年の瀬を迎えられますよう�

2007年11月20日火曜日

シンプルなこと 特別なこと

自分にとって特別なことほど出てくる表現は単純だ。
我ながら情けない。
先週のヒュンニネンのコンサートはもう10年来の念願だった。
それに彼の渾身の表現であったので、コンサートは私の身に余る至福の時であった。
けれど出てきた言葉はなんと拍子抜けのするお定まりの言葉であったことか

また。街中でずっと願っていたことが突然目の前に現れたときでも、あれこれ考えていたリアクションは役に立たず、ほんとうにシンプルな反応しかできない。そんなものだろうか?
心とは裏腹な方向に私を連れてゆく脚。けれど私の心は波打っている・・・一瞬の至福に。
リキュールの馥郁たる香りと余韻のようであり、ぐるぐると私を幸福の渦へと呑み込む渦潮のようであもあり、刹那の幸福感もある種の狂気ではないかと疑いたくもなる。

2007年11月19日月曜日

クラシック

レトロなのかクラシックなのか…中は単に古いわけではなかった。車内販売はないけど。内装の斬新さではやはりVSE運行される時間帯になかなか駅に居合わせないが…

2007年11月17日土曜日

今年

予防接種をするのは日本シリーズの頃が良い というのが定説のようだ。しかし今年は敵の出足が早過ぎる。元来 ウイルスとは意志を持つものらしい。ひとつの流行で人類が全滅しないのは自らの生きる縁を失わんとする、彼らにとってのエコなのだろう。で、あるとすれば今年のワクチンは非常に有効かもしれない。事前に脅威を察知した彼らが打ってきた先手にそれをみるのは奇異なことだろうか?私は単なる風邪では有るけれど 肋骨が折れて、痛い。咳がひとつにも骨が折れる。端から見ると弱々しくせつながるさまは多少ヴィオレッタかもしれない。でも治ったら有効性が期待できるワクチンを受けに行こう。

2007年11月5日月曜日

かつてのもの思い

この花が咲く頃にはきっと思いがかなうことを期待して苗を育てたことがあった。花は見事に咲いたが何も起こらなかった。ただ、それだけ。それだけなんて失礼だった 花の向こうにいつも希望があったのに それを随時慈しむことはしなかった。ただ それだけでうつくしい花。私はオキーフのようには見ない。

2007年11月3日土曜日

犬も送れるだろうか?
大丈夫のようですね

テスト

携帯より更新可能か?

2007年10月15日月曜日

秋の歌に寄せて

 去る九月二十六日の那須塩原、大黒屋さまのコンサートでは
秋にふさわしい和歌をセレクトし、各首のイメージを倍加させると思われるピアノ曲を
演奏しました。
大黒屋さまの完璧なホスピタリティに支えられて、ほんとうにこちらも心やすらぐ、
自然と一体となれたようなひと時でした。
ピアノは演奏すれば音が響きますが、実は演奏者はその音だけを聴いているのではなくて
感覚が異常に研ぎ澄まされてくるのです。(場合によっては遠くの話の内容すべてを聞き取れます)
今回は会場外の那珂川のせせらぎ、虫の声、風の音、が聞こえてくるままの十六夜が待たれる夕暮れどき。私にとって最高のシチュエーションでありました。
当然、音楽の内容にも影響を与え、こんな月の光を弾いているとは・・と自分でも驚いたくらい
いつもとは違う月の光。月光。水の戯れでした。
そして、最後のショパンの舟歌では、その曲をはじめてさらいだしたときのことが逐一思い出され
胸がいっぱいになって、そしてそのときもウェルテルとロッテが船に乗っている場面を思い浮かべたことなど、ショパンにとってはどんな舟歌だったのだろうと想像しながら・・

今回の和歌のセレクション、そして鑑賞、解説は箭内順一氏。曲目解説を上げてくださいましたので
詳しくはこちら
http://junitchy.exblog.jp/

弾いた曲順は
1、夕づく日・・ラヴェルの眠りの森の美女のパヴァーヌ  ラヴェル
2、まだ暮れぬ・・月の光  ドビュッシー
3、月見れば・・前奏曲 作品11-12 スクリャービン
4、嘆けとて・・月光 第一楽章  ベートーヴェン
5、竜田川・・水の戯れ  ラヴェル
6、眺むれば・・舟歌 ショパン 
7、行方なき・・コンソレーション リスト

一首ごとに曲を弾きたかったのですが、どうしてもつけられない歌がありました。
歌として完璧だと入り込む余地がありません。内容、それから音としてもう完成されていると。

だからといって歌詞になっている詩は完璧でないというわけではなく
想像をかきたてるものがある、なにかこちらも呼応せざるを得ないような・・
リートの詩もそうですね。

2007年9月21日金曜日

躊躇

 1.あることに耐え、そういうものだと受け入れて諦念のうちにあること

 2.それは違う、ともがいて周囲の謗りを受けながらも自分を貫くこと



どちらかといえば後者を選択してきた私。

1を選択している友人に言おうか言うまいか悩んでいることがある。

いや、諦念という言葉の正確な概念は知らないが、今の彼女の心の平安を諦念とするのは

こちらの愚かな詮索に過ぎないのかもしれない。
「でも、それでいいの?」「それで、本当に幸せと感じられるの?」

今、遠く離れているからこそ時折意識の中によぎる彼女の姿。

学生時代から断片的に会って、電話でしゃべり、手紙をやりとりするだけの・・



もっとも、私が一番近しいと思っている友とはお互いのあわただしさにかまけて電話すら、

年によっては年賀状すら「ごめーん、書かなかった」くらいだ。

コミュニケーションの多少が近しさに比例するとは思わない。



今、気がかりなのは、「本当に」彼女が幸せなのかどうか?だ。

できるなら、いつでも「よかったね」と言っていたい。

けれど、まぜっかえすような一言で気分を害されるのを覚悟で「他の可能性もあるんだよ」

と告げるのは・・それこそいらぬおせっかいだろうか?

こんなことで悩むのは、年月を経た今、別の友人が電話で忠告してくれた一言が今でも

心に残るからだ。「そんなの、あなたじゃない。あなた、幸せじゃないよ」

そのときは現状を否定されたような苦い気持ちで聞いた。気持ちはわかるけど、私の

実情を知らないからだわ、と。

けれど、自分の意思ではないながらも状況が変わってきた頃

ふとその言葉を思い出した。「ああ、彼女は痛々しい気持ちで私を見ていたんだ。言える精一杯のこ

とを伝えてくれてたんだ」

私がその友人と同じ立場に今あるわけではないだろう。けれど、私は尋ねずにいられないのだ。

私は、彼女の口から「これが、幸せ」と聞くまで。

でも、おそらく訊けないだろう。いや、でも今ならまだ間に合う?

私は逃げているのだろうか?

以前、前長崎市長の娘が夫落選の無念ぶりを長崎市民にぶつけた事があった。
「父は、みなさんにとってそれだけの存在だったのですか?」

これには様々な反応があったと思う。現に私でさえ、もしも仮にコメントを求められたら

自分の意見として一本化するのに困った。
「投票し、支えてくれた人もいたのになんて失礼!」
「思い込みで政治をされるのは困る」
と否定的に見る自分と同時に、ちょっと感動している自分もいた。
「素直に心情を吐露する姿は胸をうつ」たとえ理不尽であっても・・

そう、理不尽であったとしても自分をさらけだして貫いてほしい。


自分の立場からは「本当はこう思う」というのを聞きたい。

2007年9月16日日曜日

国民という言葉

国民という言葉は、確かにあるのだし、それはそれで指示する対象がはっきりとわかり便利なのだが、はて、いったい具体的に誰を、誰たちを指しているのかいまひとつ実感が伴わない。
徹子の部屋の「テレビの前の皆さま」という呼びかけくらい「あ、皆さんのなかに私も入っているの?」という自問が10分くらいあとでなされるくらい実感が伴わない、実はかなり虚ろな言葉なのだ。

何かの言い訳、あるいは敵を誹謗するときの引き合いに出されるくらいで、「国民」は夫婦喧嘩の原因にされた子供みたいに所在無くおろおろするしかない。そのうち、誰かの味方をするでもなく馬鹿らしくなってくる。傍観を決め込む。すると、政治参加する気がない!だの怒られる、国民ひとりひとりのの力で!また国民だよ。。とうんざりする。
と、ぼやく私はいったいなんて呼ばれたいんだ?とただのクレーマーに堕する危険を察知し、自問してみる。
「日本に住んでいる人」でいいんじゃないでしょうか?

ところで、あの辞任劇を私はこう読む。
一夜で変わった訳を。あのどんでん返しを。
きっとものすごい圧力がかかったのだ。国際的に。
ただ日を選んで圧力がかかったのだ。
周囲の反応からして察してあまりある窮地に陥った首相を想像する。
言っていることは理由のほんの2,3パーセントで、もしかしたら
も星新一ふうにいうならば、首相自身、もうすでにアンドロイドかもしれない。
好き嫌いでいうならば、嫌いでなかった安倍さん、いかにも一応東宮ふうで、
おっとりしていて家柄は周囲からも文句の付けようがない。
それに乙女座だ。私の弱点である。
乙女座の国民の皆さん、いえ、乙女座の日本に住んでいる皆さん、私の判断を誤らせるので
どこかに行ってください。

2007年9月3日月曜日

夏の暑さと蝉の声、
いくら猛暑といっても生命を脅かされない限り、私は夏を堪能したといえる。
寒い夏はきらいだ。
暑すぎる夏は、むしろ太陽に抱擁され、熱気はその吐息に満ちている。
地球はその情熱に身を任せているのだ、愛は破壊か?と自問してみる。
適量の愛、なんてないのです、と吉原幸子が叫んだオンディーヌ!

そして蝉の鳴かない夏ほどさびしいものはない。
耳で味わう快感、虫の声、鳥の声、あるべき時期にそれがないと、季節を抜かしてしまった気がする。
無音の冬を脱して、ひそめく春を過ぎ、ジー、とどこからか聞こえ出すとき、
「ああ、onになった」とわたしは安心する。
夏への期待をこめて。

蝉の鈴なりになる木がある家は辟易しているだろうが、
私はあの鳴き声をいつまでも聞いていたい。
そのシャワーのなかにいるだけでドーパミンが放出される
脳のどこか壊れた部分が修復されてゆくような快感。

昨日、ベランダに出ようと思ったら蝉が超低空で飛んできて私の足に絡みついた。
おそらく、私が蝉を愛している、という感情に応えてわざわざ来たのだ、と理解した。
が、いつもの愛情にもかかわらず私は「あっ」と叫んで逃げてしまった。
蝉に対して失礼なことをしたと思う。けれど愛惜と咄嗟の反応は相容れないものなのだ。
どちらが本心かわからない。ただ、虫としての形状を好まないだけであると
揚がり過ぎた黒かりんとうのような感触。

蝉は命を終えても、道を風に吹かれるままにその体は鳴き声を立てる、カカカカカ・・と

2007年8月31日金曜日

曲に想うこと1 道化師の朝の歌

今日はラヴェルの「道化師の朝の歌」

芸術家はその国籍、民族性によってその作品はああである、こうである、と評される。
ある意味、それは最も入りやすい切り口であって、その説明を聞いた他人にも疑問なく
理解され易い手っ取り早い新聞的な見方だ。
確かにラヴェルの父はスイス人、母はスペイン側のバスク人、今後あらたな研究で覆されない限り
そのことは事実であろう。
だからといって、スイスの機械的な職人肌、とバスクの堅実ながらも秘めたホセの情熱の血、を
と両親の出自で言い切るのもどうかと思う。旅行のパンフレットなら効果的だが・・
実際その作品のなかに潜るとむしろ表面的なことはどうでもよくなってくる。
それどころかそれらの表層を突き破って出てくるその人の「核」が見えてくるような気がすることがある。作曲は時間とともにある即興と違う。時間的な意図的な操作で満ち満ちている、はずなのにどんな策士であるか、を作為のなかに露呈している。その人らしさ、というか、「そうせずにはいられない人」
それは、インディヴィジュアル、なものと同質であるのかわからないが作品に集中すればしただけ、その人の表層部分がだんだんと削ぎ落とされてゆくのがわかる。
サルの剥いていくらっきょのように・・ラッキョウだとしたら、何にも残らないのかもしれない。
行き着く、ことはないのかもしれない。恋愛に「行き着く」ことがないように、ただ、行き着いた、という静止の状態が存在しないのを誰もがわかりきっているためにその過程に名を付けているだけなのかもしれない。

この曲のタイトルの由来はよく知らない。解説によっては道化師の朝帰りの歌、だとか・・
飛び跳ねるような自虐的ともとれる音型は確かに中間部はフラメンコで言うカンテ・ホンドのエスプリに満ちている。けれど、どうしても思わずにいられないイメージがある。
ツァラトゥストラの冒頭、広場で沸く哄笑と乾いた陽気さ・・

2007年8月26日日曜日

ライブ

かねがね、なぜクラシックのライブハウスがあまりないのかなと思っていた。

けれども、実在するんですね赤坂に。
クラシック専門のハウス、「カーサクラシカ」
10月7日の昼の部にさせていただくことになりました。
3ステージ入れ替えなし、
よく考えると本当に1リサイタル分です。
とはいっても、ライブハウスですからガチガチにコンサートをするわけには行きません。
お客さまはそこで食べたり飲んだり、見つめあったりささやいたりするわけですから。

いつもの源氏の厳しい朗読をエッセイに換えて、パリの印象、当時のいろんな想い、情景をそのまま音楽にして、ピアノエッセイ「パリ~薄緑の空」
私の「天然」を露呈するだけにとどまるかも、ですが、心の奥ではもしかしたら一番望んでいたライブの形かも・・成功すれば。
ラヴェルのマ・メール・ロワやフォーレの舟歌、ドビュッシーの霧、月の光・・
一方で大好きなmy foolish heart,や'round midnight、思えばあの映画そのものの私の父でした。

2007年8月19日日曜日

豆乳

今年は暑いですね。物も正常に考えられない。
子供の勉強やバイオリンはもちろんのこと、
くだらないことにまで口出しする自分。

子「チラリ~ッ、ハナから豆 乳!」
あれ、牛乳だったかな?それはともかく
メロディーが違う

私「ハナから豆乳!は ♪レドシラ♯ソーラーなんだよ」
子「チラリー、ハナから豆乳(レドシラシーラー)」
ふざけているわけではないだけに余計むかつく
私「豆乳は♯ソーラー、なの!」
といってもなかなか直らない。
そのうち私の突込みを避けるように、ごまかしニュアンスであっちでこっそりうたっている。
なんだか本来おもしろいはずのことでさえ
ここまで指摘するのは野暮なのかな、とちょっとかわいそうになった。
そうだ、パクリのでどころを知らないんだ。
そのうちランチタイムオルガンコンサートに連れて行くことに。

2007年7月24日火曜日

しのばしきむかしの名こそ

「建礼門院右京大夫集 しのばしきむかしの名こそ」無事終了させて頂きました。
おいでくださった方、ささえてくださった方、本当にに有難うございました。
今回は色々な意味で私にとって大変感慨深い公演でした。

数ヶ月前には自分の楽器すら手元に残せないのでは?という状況でしたが
一旦受け入れて諦め、開き直ったところから実現の兆しが見えてきたこの公演。
大げさに言えば、この目標があったからこそ生きてこられたといっても
良いでしょう。ある意味、食料や水以上に、人を生かすのは感動し、表現すべき何かであると
痛感したのでした。「この曲を書いてくれて有難う」とさらっている間、作曲家たちに心の中で何度繰り返したことか・・・

800年前に右京の大夫が「自分の死後、亡き資盛を弔う人がいなくなるのが哀しい」との
一心で書きとどめたことが、こうしてピアノ物語になろうとは考えもしなかったでしょうが、
いつの間にかこういう運びになってしまったこと、この作品へのご縁を感じずにはいられません。
もっとも彼女がもしこれを聴いたら気に入ってくれるかどうかは謎ですが・・
でも、私が一番驚き、新鮮で彼女らしいと思われるのが志賀の浦の場面。
様々ないきさつがあったでしょうけれど、出家しようとはせずに、
つねに「自分の位置」に踏みとどまっていること。
入水した後を追うのでもない、もし、この荒ぶる湖にあの人がいるのだと聞かされたなら
私はここに「とどまる」のだと言っている。
自立、という言葉だとなんだか味気ないが、おそらく資盛生前の頃から、ささやかながらも
自分の位置をしっかり保ってきた人なのではないかという気がする。



多くの方に支えていただきながら可能になった公演である事、そして自分の役割、を考えました。
能の「井筒」のような、私は「旅の僧」で、恋人をひとしきり偲んで舞う女性の姿をただ眺め、翌朝、あれはなんであったかと思い巡らす役でありたい、と。
いつか、作品がおのずと語りだすような状況が作れるようになりたい、というのが夢。

いろいろな言葉にならぬ思い、それこそ右京の大夫もあれだけつれづれに書き留めておきながら
「言い果てぬ」ことがほとんどであったかと想像します。
私は怖くて日記すら、書き残せない人間なのですが、こうして書かれたものに思いを馳せ、共感し、表現したい衝動にかられる。こうして自分にとって好きなことを皆さんに共有していただけるのは大変に幸せなことだろうと思うのです。
ほんとうに有難うございました。

2007年6月23日土曜日

聴く

最近、ある楽隊を知った。

北村大沢楽隊。日本のその地方の歴史と共に泣き笑いしてきた、といえば

ドキュメンタリーを作るなら方向性の決まってしまう言い方だが、

存在を知ったことによって考えさせられたことがあった。



端的に言って

まるで調子はずれな、音感教育には間違っても良くない、クラリネットのリードとは信じがたい、

どうしてそこで入る合いの手?!など突込みどころ満載で最初の驚きが爆笑に変わるのに時間は要らない。が、同時に自分のなかのそういう反応にたいする牽制もあった。

これは、自分を錯覚し、自分の基準に当てはまらない物事への勝手な優越感ではないのか?

単純に言ってただ、私はその音感を馬鹿にしている嫌な人間なのではないか?



そう、自問させたのにはいくつかの気になる点があった。



第一に、

こちらが知らない曲ならば「はっとするほど美しい瞬間があった」ことを否定できなかったこと。

第二に

彼らが、なんの疑問もへんなプライドもコンプレックスとも無縁なところで、言葉通り「ただ演奏するのが好き」らしいこと

第三に

歴史に支配された人々の生活とともにありつづけてきたこと



それらを思い合わせると、楽隊とどういう出会い方をするかで印象はまるで異なるだろうというのが

想像された。



①何の先入観も無く、出くわす。

②抱腹絶倒の・・という触れ込みにつられて聴いた

③存在そのものに価値がある、という結論でおわる記事を読んだ上で



私は②の聴衆で、興味本位で聴いた為に、「そういう聴き方しか」出来なかった。

しかし、もし、シルクロードに伝わる民族楽器でそこの音楽を聴いている、という

認識の下なり、①の立場で聴いたとしたら、「なんて生命感溢れる大地の音よ!」とぬけぬけと言い放ったかもしれない。そう思ったときに、こちらの枠がぐらっと揺らぐのを感じた。

こちらの音感こそあさましけれ・・・絶対音感がなんぼのものぞ、地球の音楽のまさに微々たる上っ面、海の赤潮程度のものかも知れぬ。一体,442HZとか、平均律、とか純正とかいったい誰が決めたのか?それで都合がよい音楽はそれにのっとって弾けばいいだけの話ではないか?



メンバーは高齢であるが、全盛期に較べれば出演は激減したものの今でも請われるままに演奏に赴くという。人々の言葉に出来ない思いを飲み込んで戦場に送り出したこともあったという。



袖を通すたびに体になじむ服のように、聴く度になつかしく、それが普通になってくる音楽を耳にすると

一体、自分は何をもって「聴いて」いたのだろうか?と自問したくなる。

既成概念をとっぱらって「聴いた」ことがあったろうか?

常にある「それ」と近いか遠いかで「判断」する以外のなにものでもなかった。

特に北村大沢楽隊を神格化するわけでも持ち上げるわけでもないが

彼らがあるように「あるがまま」で居たい、とも感じ、

本来、日本人というのはかなりおおらかな民族なのであろう、と思った。

2007年6月16日土曜日

ケルトの伝説 沈める寺

6月19日は故郷の幕張テクノガーデンでコンサートがある。
夏の海辺にふさわしく、私ならではの演出を考えた。

ドビュッシーの「沈める寺」のストーリーをもとに、音楽象徴劇を・・

イースというブルターニュにあったという伝説の都、
世界最高の繁栄を誇ったというその都は、それまでどんな恋人にも飽き足らず
初めてみずから成就を賭した王女の恋のため水の底へ沈む・・

キリスト教のめがねで見ればソドム、ゴモラを想起させる悪徳と邪淫にみちたイースの都。
それを滅ぼすために神からつかわされた男は王女への愛を誓う代わりに水門の鍵を要求した。
手渡した瞬間に男は消え、王女は都と共に波に飲まれた。
すでにキリスト教に改宗していた父王は愛しい王女の死を悼みつつも森のドルイド僧に看取られ、心配して追ってきた司祭に「この男に辛く当たらないでほしい。私は王国と娘を失ったが彼は信仰をうしなったのだ」と言いつつ息を引き取る。
ドルイド僧は司祭に、王がここに寺院を建てるようにも言い残したと伝えると
「結局はわれわれは同じ道に行き着くのかもしれませんね」とさらに森の奥深く歩み行ったという。
ケルトへの布教は土着の精神性を重んじたものだったといわれているが、外国語で読むからか
私が外国人で今の人間であるからこう捉えるのか、無言の反駁と精神構造の静かな次代へのバトンタッチが、なんともこうあってほしい伝説の典型であると感じる。


沈んだといわれるイースは滅びたのではないという。
そこに残る寺院のミサで司祭が答唱を返す会衆を得たとき、ふたたび海面に浮かぶそうだ。
そして王女も母と同じ人魚になって切ない声で歌っては,一目見ようとするものたちを虜にし続けている、と。

曲目は

1亜麻色の髪の乙女 
2金色の魚
3ソナチネ
4サラバンド
5西風の見たもの
6沈める寺
7鐘の谷

3と7はラヴェル、それ以外はすべてドビュッシーです。
そして、、1、2以外はなんと7月の建礼門院右京大夫集「しのばしき・・」と共通曲目です。
お話によって同じ曲でも違って聴こえるんです。私には。

しかし、男性は女性に虜にされてしまいたい、という潜在的な願望があるんでしょうか?
特に水の精に誘惑されてコロリとなんて沢山ありますよね。
オンディーヌ、ルサルカ、沈鐘・・・

2007年5月27日日曜日

いったいなぜ・・?

・・・と自問することがよくある。



なぜ、私は今ここで仕事しているんだろう?

なぜ、ここに住んでいるのだろう?

なぜ、舞台で演奏しているのだろう?



確かに、自分の意思で選び取り、行動してきた結果であるのだが

結果的にそうなったという、受身である自分を意識する。

運命論者というわけではないが、

源氏物語を演じずにいられなかった。

そのソナタを弾かずにいられなかった、という理由がただ好きだからというわけではないところに

意思をはるかにこえた何かを想像する。



今回、7月に公演予定の「しのばしき昔の名こそ」は

平家物語の女性版、「建礼門院右京大夫集」をもとにしたピアノ語りであるけれど

いつか自分がこの物語に関わるなどとわかって試験勉強で国語便覧をにらんだ私であったろうか?

いや、もともと原作者の箭内氏とは、「新古今をしよう」という話だったのだ。

セレクトした和歌の流れがひとつのストーリーをなすような、そんな音楽情景を描き出したい、

それだけだった。

それが、「歌物語なのですが、これが面白くて・・」ということで「はぁ、名前だけは知っているけれど・・・まあ和歌に造詣の深い彼がそういうのだから」とこの点無知分野には素直な私は従ったというわけだが、始まってみたらこれが大変。史実で事実であることの重み、というのは創作の重みと全く異なる。



いくら惚れた死んだ泣いたといっても物語は物語。作者が実話を踏まえたといっても、それは知的に再構成された創作であるわけだ。

平家物語には時間や事実の操作がかなりの割合で働いているらしく、そのなかのドラマ効果は満点で涙必定であるが、その平家物語成立の際、参考にされたといわれるこの「建礼門院・・」はどこまでもリアル、まぎれもなくノンフィクション。日記のような歌物語であるから主観に終始しているのだが、事実にもとづく感情の起伏のダイレクトさは共感、以前にいったいどんな女性だったのか?と想像してみたくなる。雅な京女、を装いながら激情に翻弄されるわが身をクールに保つことのできるひと。全体のなかで自分はどうあるべきか、という美学をきっちりともっているのだろう。

 

 しかし、この作品は女性と、男性では受け取り方が大分分かれるように思われる。

作者の意図の一つは、我が胸ひとつに秘め、恋人、平資盛(たいらのすけもり)の後世を弔ってきたのだが自分亡き後それが絶えてしまうことを哀しく思って、恋の思い出を書き「残した」

とはいえ、遠い将来誰かに、それもピアノで語られようとは思いもしなかったであろうから

舞台用の台本に仕上げるのは最初から無理のある作品だ。それでも台本の基礎を作りあげてくれた箭内氏であった。純粋に歌の美を堪能するのであれば氏の台本が良かったかもしれない。しかし私も原文を読んでみて、これは、とピックアップしたくなる箇所の微妙な氏との違いはやはり男性と女性とでの視点の違いのようなものが働いているように思われた。

いずれにしても、右京の大夫の大切にしてきた思いをこちらも大切に受け止めたい。

そして色々な感想を聞いてみたい。

2007年5月25日金曜日

裁くということ

今朝、出掛けに見たニュース。聞くことさえ痛ましい、想像するだに気が狂いそうな事件。
いわゆる、裁く側は自分の中の情との葛藤に苦しむだろう。
そして、法とはなにか?どういう目的で活かされるべきかの疑問に毎度直面するのだろう。
不当だ、という怒りが発生してそれを解消するために取った復讐があらたな怨恨を生み連鎖させるのが歴史であり、尽きることのないカルマであるのなら、それを解消する方向に、知の力によって不満、不服を最小限におさえるのが法であるのだろうか。それが人間の生きるコミュニティでの掟といえるのだろう。
原告、被告それぞれが自分の側の主張が通ってしかるべきと考え、全力を挙げて争う法廷で裁判官は一体何をすればよいのか?行きの電車の中で考えてみた。

同情や憤りという感情を抑えて、というより、冷静さを保つことに情熱を傾けて、
「それぞれを最大限に明らかにすること」が使命なのかもしれない。
明らかにされた形によって現行法が適用されて形になる。人が人を裁くことはありえない。
しかし、人が作ったものによって裁きはあたえられる。

と、こう考えてくると本村さんの言い分はもっともだ。情を全く抜きにしても。
判決に対してでなく法そのものを問うのなら、問題にする場ではないのはわかりきっている。


話は変わるが
お昼を食べようと長いテーブルに座ったら何と目の前にハエがいた。
他に何人かいたので、場の雰囲気を考えるとことさらに騒ぎ立てることもできず、ましてや捕まえることなぞできずに・・さらには、ハエもごはんを一生懸命食べているらしいことを発見。
誰かがこぼしていったたまご蒸しパンのパンくずを満足そうに食べている。
そこで、私とハエは「お昼を食べている生き物」という同じカテゴリーに入ってしまったことを確認。
そこに何の違いがあろうものか、ジャイナ教みたいな聞きかじりの思想が頭をよぎり、
にっちもさっちも・・・私はただ、だまって食べ続けていた。ナチュラルローソンののり巻きみたいなサンドイッチを。味も何もなくただ黙々と・・ああ、こうなったら俳句でも詠むしかないか、と諦めかけていたところ、なんと!不意に入ってきていちはやくその状況を察知し、さっさと解決してくれた人が現れたのだ!しかも場を乱すことなく。とにかく有難かった。この際法などどうでもいい、救われればそれでいい、という自らのエゴを再確認した瞬間でもあった。