2007年9月3日月曜日

夏の暑さと蝉の声、
いくら猛暑といっても生命を脅かされない限り、私は夏を堪能したといえる。
寒い夏はきらいだ。
暑すぎる夏は、むしろ太陽に抱擁され、熱気はその吐息に満ちている。
地球はその情熱に身を任せているのだ、愛は破壊か?と自問してみる。
適量の愛、なんてないのです、と吉原幸子が叫んだオンディーヌ!

そして蝉の鳴かない夏ほどさびしいものはない。
耳で味わう快感、虫の声、鳥の声、あるべき時期にそれがないと、季節を抜かしてしまった気がする。
無音の冬を脱して、ひそめく春を過ぎ、ジー、とどこからか聞こえ出すとき、
「ああ、onになった」とわたしは安心する。
夏への期待をこめて。

蝉の鈴なりになる木がある家は辟易しているだろうが、
私はあの鳴き声をいつまでも聞いていたい。
そのシャワーのなかにいるだけでドーパミンが放出される
脳のどこか壊れた部分が修復されてゆくような快感。

昨日、ベランダに出ようと思ったら蝉が超低空で飛んできて私の足に絡みついた。
おそらく、私が蝉を愛している、という感情に応えてわざわざ来たのだ、と理解した。
が、いつもの愛情にもかかわらず私は「あっ」と叫んで逃げてしまった。
蝉に対して失礼なことをしたと思う。けれど愛惜と咄嗟の反応は相容れないものなのだ。
どちらが本心かわからない。ただ、虫としての形状を好まないだけであると
揚がり過ぎた黒かりんとうのような感触。

蝉は命を終えても、道を風に吹かれるままにその体は鳴き声を立てる、カカカカカ・・と

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