2007年9月16日日曜日

国民という言葉

国民という言葉は、確かにあるのだし、それはそれで指示する対象がはっきりとわかり便利なのだが、はて、いったい具体的に誰を、誰たちを指しているのかいまひとつ実感が伴わない。
徹子の部屋の「テレビの前の皆さま」という呼びかけくらい「あ、皆さんのなかに私も入っているの?」という自問が10分くらいあとでなされるくらい実感が伴わない、実はかなり虚ろな言葉なのだ。

何かの言い訳、あるいは敵を誹謗するときの引き合いに出されるくらいで、「国民」は夫婦喧嘩の原因にされた子供みたいに所在無くおろおろするしかない。そのうち、誰かの味方をするでもなく馬鹿らしくなってくる。傍観を決め込む。すると、政治参加する気がない!だの怒られる、国民ひとりひとりのの力で!また国民だよ。。とうんざりする。
と、ぼやく私はいったいなんて呼ばれたいんだ?とただのクレーマーに堕する危険を察知し、自問してみる。
「日本に住んでいる人」でいいんじゃないでしょうか?

ところで、あの辞任劇を私はこう読む。
一夜で変わった訳を。あのどんでん返しを。
きっとものすごい圧力がかかったのだ。国際的に。
ただ日を選んで圧力がかかったのだ。
周囲の反応からして察してあまりある窮地に陥った首相を想像する。
言っていることは理由のほんの2,3パーセントで、もしかしたら
も星新一ふうにいうならば、首相自身、もうすでにアンドロイドかもしれない。
好き嫌いでいうならば、嫌いでなかった安倍さん、いかにも一応東宮ふうで、
おっとりしていて家柄は周囲からも文句の付けようがない。
それに乙女座だ。私の弱点である。
乙女座の国民の皆さん、いえ、乙女座の日本に住んでいる皆さん、私の判断を誤らせるので
どこかに行ってください。

0 件のコメント: