2007年7月24日火曜日

しのばしきむかしの名こそ

「建礼門院右京大夫集 しのばしきむかしの名こそ」無事終了させて頂きました。
おいでくださった方、ささえてくださった方、本当にに有難うございました。
今回は色々な意味で私にとって大変感慨深い公演でした。

数ヶ月前には自分の楽器すら手元に残せないのでは?という状況でしたが
一旦受け入れて諦め、開き直ったところから実現の兆しが見えてきたこの公演。
大げさに言えば、この目標があったからこそ生きてこられたといっても
良いでしょう。ある意味、食料や水以上に、人を生かすのは感動し、表現すべき何かであると
痛感したのでした。「この曲を書いてくれて有難う」とさらっている間、作曲家たちに心の中で何度繰り返したことか・・・

800年前に右京の大夫が「自分の死後、亡き資盛を弔う人がいなくなるのが哀しい」との
一心で書きとどめたことが、こうしてピアノ物語になろうとは考えもしなかったでしょうが、
いつの間にかこういう運びになってしまったこと、この作品へのご縁を感じずにはいられません。
もっとも彼女がもしこれを聴いたら気に入ってくれるかどうかは謎ですが・・
でも、私が一番驚き、新鮮で彼女らしいと思われるのが志賀の浦の場面。
様々ないきさつがあったでしょうけれど、出家しようとはせずに、
つねに「自分の位置」に踏みとどまっていること。
入水した後を追うのでもない、もし、この荒ぶる湖にあの人がいるのだと聞かされたなら
私はここに「とどまる」のだと言っている。
自立、という言葉だとなんだか味気ないが、おそらく資盛生前の頃から、ささやかながらも
自分の位置をしっかり保ってきた人なのではないかという気がする。



多くの方に支えていただきながら可能になった公演である事、そして自分の役割、を考えました。
能の「井筒」のような、私は「旅の僧」で、恋人をひとしきり偲んで舞う女性の姿をただ眺め、翌朝、あれはなんであったかと思い巡らす役でありたい、と。
いつか、作品がおのずと語りだすような状況が作れるようになりたい、というのが夢。

いろいろな言葉にならぬ思い、それこそ右京の大夫もあれだけつれづれに書き留めておきながら
「言い果てぬ」ことがほとんどであったかと想像します。
私は怖くて日記すら、書き残せない人間なのですが、こうして書かれたものに思いを馳せ、共感し、表現したい衝動にかられる。こうして自分にとって好きなことを皆さんに共有していただけるのは大変に幸せなことだろうと思うのです。
ほんとうに有難うございました。